天才ゆえの悲劇-烈風剣の秘密-(二)

前進と回転運動によって桁違いのエネルギーを生み出す脚と胴。
それを得物(この場合はバット)へ伝達する強靭な腕。
1/1000秒以下の瞬間に打撃の中心(バットの真芯)で点(ボール)を捉える動体視力と反射神経。

小次郎はこれらを使って完璧に「仕事」をやってのけたようです。
彼の打球はサイドスピンがかからず、まっすぐに前方へ飛び、ボールの回転軸はまったくぶれなかった。
なによりバットが折れなかったことが信じがたい。
ミツバチの飛行速度はだいたい24km/hだそうですが、なに、そんなもの、小次郎には止まって見えたのに違いありません。
これだけの能力をもってすれば、対人兵器として無敵であってもよさそうなものですが―――。



「悲しき天才」-なにを修行しなければならなかったのか-

飛鳥武蔵の《飛龍覇皇剣》に敗れた小次郎は、傷も癒えぬうちに柳生屋敷で石灯籠を相手に奇妙な特訓を始めます。
曰く、
「岩をもまっぷたつにするほどの剛刀がいるんだ」(JC2巻)
そうです。
なぜ、小次郎はそのような結論に達したのでしょう。
そもそも彼の欲した「剛刀」とはどのような剣なのでしょうか。

「剛」は「こう(かたい意)」+「刂(刀)」で、それ自体が「堅い刀」を表しています(『漢和辞典』福武書店)。
つまり、小次郎は「折れない刀」を必要としていた。
武蔵の剣を受けるために、ではありません。受け太刀を許すような相手ではない。
彼の能力を全開にしても壊れない得物、とんでもない反応速度と常識を超えたパワーが送り込む衝撃に耐え得る剣―――「本気で闘うための剣」こそ、小次郎が求めた刀でした。
何本もの木刀で石灯籠を「試し斬り」していた小次郎は、持てる力の何分目までを出せるのか、その限界を探っていたと思われます。
そして、どうにか折り合いをつけた1本を選んで決闘に臨もうとした。
「風林火山を手にしたおまえは、以前の数十倍の強さをもってしまった」(JC3巻)
という武蔵の評は正しい。
「風林火山は数十分の一に抑えられていたおまえの、本来の力を解放してしまった」
と云い換えてもよかったかもしれない。
それこそが「悲劇」です。

《風林火山》との再会を果たすまで、小次郎には己の才能を100%発揮する場が与えられなかった。
力があるのに、それを使うことができなかった。
幼い彼が最初に覚えなければならなかったのは、我慢することでした。



「里を出るに出られない」-忍としての適性-

夜叉一族の壬生攻介との決闘は、彼の心身の性格を如実に物語っています。
「百年に一度の名刀」(JC1巻)
と謳われて、小次郎は怒った。
無理もありません。
「木刀の良し悪しで勝負が決まるかァ―――ッ」(JC1巻)
と逆上しながら斬り結ぶ小次郎の方がその「良し悪し」に苦悩していたからです。
壬生は知らずに小次郎の「地雷」を踏んでしまった。
「樹齢三千年の一位樫」が砕けたのは赤垣を抹殺した場外ホームランと同じ原理によるものです。

実戦経験がない(という証拠はありませんが)わりに、己の実力に過剰なほどの自信を抱いていた小次郎の言動も、これなら辻褄が合うような気がします。
小次郎は悲しかった。
風魔一族として役に立てない原因は、自分の努力だけではどうにもならないものでした。
そしてその悲しみを許容し、理解してくれる兄弟は―――いなかったのではないでしょうか。
そう考えて、あらためて彼の戦闘を思い返してみると本当に痛々しい。
自分の肉体(※)を盾にして飛び込んでいくような戦い方。無鉄砲を通り越して「バカ」です。
※最も注目すべきなのは彼の回復力でしょう。初陣から命ぎりぎりの連戦、最後まで満身創痍のまま闘い抜いた彼の気力はあまりにも恵まれた生来の体質に支えられた、と云えます。

ほんとにバカだなあ、小次郎・・・。
武蔵との初対決で彼が使った《風魔烈風》。
その後お目見えすることはありませんでしたが、はっきり云って目晦ましでしかない。
真剣勝負ですら太刀合に全力を投じることができない小次郎の、掛け捨ての生命保険―――というのは云いすぎでしょうか(かもしれん。技を教えた指導者に怒られそうだ)。
そうして、小次郎が自分のことを忍として役に立たない半人前と思い込み、劣等感を育ててしまったのだとしたら。

「オレが殺されても、おまえらが生き残っていりゃあ、風魔一族はほろびやしねえ」(JC3巻)

あの爽やかな諦観。執着のない告白。
車田漫画は数あれど、彼は主人公としては異端の存在です。
風魔一族においても。



「風林火山は待っていた」-ヒトとモノの幸福な出会い-

小次郎の可能性を見抜いた人間が敵であるはずの武蔵で、彼もまた聖剣の正統な戦士であったことは象徴的です。
小次郎は、まさに剛刀《風林火山》を振るために生まれてきた存在でした。
風魔の里で不遇をかこっていたのも、聖剣と廻り会うまで忍務でうっかり命を落としたりしないように護られていた、とも考えられます。
伝説の剛刀を手にしたことで、
「悲しいことばかりで、いいことなんかこれっぽっちもなかったぜ」
と、彼は云うかもしれません。
それでも、あれは幸せな出会いでした。
互いの能力を100%引き出せる存在として彼らは出会い、使命を全うした。
この世にこれ以上幸せな在り方はない―――と感じます。

と、ここまで語ってまいりましたが、これはあくまでも柳良の解釈ですので・・・「こういう読み方もある」という程度に読んでいただいてかまいません。
小次郎は強かった。
武技に長じた忍としてではなく、宿命を克服した剣士として。
聖地から帰還した小次郎は、そのまま《風魔反乱》に巻き込まれて多くの兄弟を喪ってしまいます。
霧風を亡くして彼が流した涙。
あれは、
(本当なら、落ちこぼれの俺が先に死ぬはずじゃなかったのか)
(強いおまえが、なんで先に逝っちまったんだ)
という悲嘆だったのかもしれない。
それでも絶望せずに、今できることをする姿勢を貫いた彼は「バカ」で「お調子者」な外見とは裏腹に、まじめで義理堅く「風のように生きてきた」風魔の精神を継承する戦士となりました。
願わくば、小次郎が心に負った重荷でよろめいたりしないよう、竜魔には傍でしっかりと彼を支えてほしいと思います。
せっかく、そういう感応力を持っているんだからさ。

それでは『その時歴史が動いた』風にBGMでもかけて―――今回の考察を終わります。
2005年01月14日




補足

本来ならこの文章はここで終わるはずでした。
ところが、続篇の『柳生暗殺帖』で独眼竜のダンナはどこかへ沈没しているし、第8話で不穏な動きが出てきたので、それについて少し。

これほど超常的な身体能力を備えた小次郎が《風林火山》を持たないまま、もし《風魔羅将紋》を使ってしまったら―――無茶な彼ならやりかねない。
行き場を失くした運動エネルギーは逆流し、肉体に撥ね返ってくる。
その時は、おそらく両腕ではすまないと思います。
うわあああ。小次郎、危ないよ。もっと自分を大事にしてくれい。
この人はやっぱり、かけがえのない存在であることをいつも云って聞かせる誰かが近くにいないとダメです。
早く、娶れ。