『柳生暗殺帖』第15話 -王道楽土-(2006年03月号)

うぉおおおぉ、おもしろかぁあああ。
インドラ様は『リグ・ヴェーダ』よろしく、思いのほか世情に通じた人臭いお方であらせられました。「余興」を愉しむ心をお持ちなのも、なかなかのおちゃめぶりです。
降臨した肉体がお気に召さないようですがそれは、降臨すべき本来の肉体が別にある、ということですね?



とにかく大事なのは、副題でもある「王道楽土」。
王道
仁徳を本とする政道。
覇道
武力・権謀を用いて国を治める覇者の政道。
『広辞苑』(岩波書店/1964年01月15日第01版第12刷発行)
「三百年にわたる不遇と屈辱」という言葉から想像すると、羯磨衆は「楽土」を実現する手段として、「二元化された価値観の反転」を狙っているのではないかなあ。つまり、今までの、 に裏返り、新しい「正しき者」の行いが支配する、新しい世界(秩序※01)の創造を。
※01:このあたり、《華悪崇》の理念と比較するのもおもしろそうです。

こ、こ、こ、これだっ!
もしそうなら、期待どおりの展開です。「王道」は、小次郎が語った「忍道」の到達するところでもあるからです。
インドラと小次郎の違いは、ただひとつ。 そして、後者の実現の方がはるかに難しい。
小次郎には超えてほしい。超えてほしいよ。

インドラ神は、それを降ろした羯磨衆の影響を受けているようです。
もし、羯磨衆にとっての「暴利を貪る鬼畜生」が外道化したら、今度はそちらが「不遇と屈辱」に甘んずることになります。それは砂時計の上下を返したり天秤の左右の錘をつけ替えるようなもので、楽土(浄化)にはならないような気がする。
そのあたりを、神格としてインドラはどう決着させるつもりなのか? カミサマが「不遇」だとか「屈辱」だとか、そういう言葉を出してはいけませんや。ほんとに胡散臭い。小次郎、よく云った。
次回でイーさんの左頬に小桃の手形が貼りついているといいのに。



神子の力ですが、もしかしたら考えていたよりもシンプルな性質なのかもしれません。
まず、「門」を開いたので上下の次元を等化(integration)しています。
描写を見るかぎり、中和(neutralization)もできる。
で、思いついたのが六芒星の働きでした。
六芒星の構造
※02:▲と▼は↓にも↑にも開いています。波形が同じだから共鳴するし相殺される・・・という仕組み。

ずっと「降ろして器ごと殺す、カミ流し」を想像していたのに、そんなに受容的ヤワな神子ではありませんでしたな。

今、注目しているのは 【車漫】『柳生暗殺帖』-虎次郎のこと- の件です。
このまま小桃を伴って《伍の獄門》を進むかどうかについて、虎次郎が小次郎とひと悶着を起こす可能性があります。
伊達総司は「連れて行け」と云うだろうな。
小桃は「行く」と云うかもしれない。
虎次郎は猛反発か。
そして、小次郎は。
・・・小桃の意思を尊重する立場をとってほしい。第11話で総帥に啖呵を切ったように、いなければいないでなんとかするつもりだとは思いますが。



そして。
第12話 での予想が当たってしまったか? 本体はどこだ、どこにいるんだあああっ!!!
まさかまさか、のっけから本性が現れるとは。
とりの彼方(楽土)へ吹っ飛ばされた小次郎を、思わぬ形(そのまんま)であの人が救った!
しかも、小次郎自身は何が起こっているのかをよく理解しているらしいから、(肉体の生死はともかくとして)最悪の事態を心配しなくてもよさそうです。
4年間、憑いていたのか。
熱い。熱いよ、独眼の竜。

「J SPORTS」で『RUGBY PLANET』という30分番組を観たりするのですが、往年のチームメイトが居酒屋で飲むと、いまだに「あの時、俺が(ボールを)落としていなければ・・・」と云って泣くのだそうです。
そういう男と男のハンパでない絆の強さは「情」を超えた深い信頼で支えられているので、ちょっとやそっとで解けるものではありません。
まして、小次郎と竜魔は「兄弟」なのだから、待つことも赦すこともできるのだろうなあ・・・。
燃えました。
2006年01月23日

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補足

『RED』発売以来、同好の諸氏に「竜魔は式神として使役されている」とか『まんが日本昔ばなし』だとか、もう腹を抱えて笑ってしまうようなご感想をうかがうことができましたが、あれから『西遊記』の妄想にとりつかれてしまい、一人ウケ。白馬やね。
2006年01月23日